閑話休題~ダダ漏れコミュニケーション?!
TwitterやFoursquareなどのコミュニケーション・ツールはインターネットの世界にダダ漏れコミュニケーションの面白さを提供し始めています。
『いまどうしてる?』に答えてつぶやきを投稿するTwitterは爆発的に広まっており、自分の行動や思いを即時に投稿することによって思いや行動をシェアするコミュニケーションが広まっています。Foursquareに代表される位置情報サービスも自分の行動を自動で投稿してくれるコミュニケーション・ツールですが、自分の行動や思いをダダ漏れすることにはどのよいうな意味があるのでしょうか。
”渋谷なう!”と投稿することによって、渋谷でその投稿を見たTwitterユーザーはその投稿者に「親近感」を覚えます。深い理由は必要ないのかもしれません。同じ時間、同じ場所にいたことが表現しがたい親近感を覚えるコミュニケーションが位置情報サービスの特徴なのでしょう。
同じように、Twitterで”上司ムカつく!”と投稿すると同じように感じている人がRT(リツイート)してくれたりすることが共感や親近感を感じさせてくれるんだろうと思います。こうしたダダ漏れコミュニケーションは、一つのソーシャルメディア・コミュニケーションの特徴かもしれませんね。
しかし、こうしたダダ漏れコミュニケーションだけでは一時のブームで終わってしまいかねません。何かこうしたコミュニケーション・ツールを使った新しい別のコミュニケーションの形が産まれてこないかと期待しています。
コミュニケーション能力~空気を読む
”コミュニケーション能力が高い”=”空気が読める”
こんな風に言われることがあります。確かに空気が読めるということは周りの雰囲気、議題の背景にある歴史やプロセスを察知する能力が高いともいえるので、コミュニケーション能力が高いということにつながるのかもしれません。
しかし、本当にそうでしょうか。
日本が単一民族だというと大きな誤解が生じますが、日本の社会は似たもの同士が群れ合う社会、和を尊ぶ社会だといわれます。昔から、意見の対立や衝突を避けることが優先されてきました。そういった集まりの中では、場に流れる空気を敏感に察知して上手く立ち回る人が有利だったのです。それ故、空気を読める→対立や衝突を避ける→コミュニケーション能力が高い、と考えられるようになったのではないでしょうか。
背景や行間、所謂コンテクストが似た集合の中にいるのであれば空気を読むという能力は必要でしょう。しかし、コンテクストを異にする雑多な集団の中で意見の相違を明らかにし、合意形成を図る際には空気を読む能力だけでは不十分です。
自分の意見を”言葉”によって明らかにし、相手の意見を上手く引き出し、相違を認めた上で自分を主張し、相手を尊重する意思疎通能力が求められます。当然、スキルとしては会話術、交渉術などもコミュニケーション能力には必要になります。
そうしたコミュニケーションに活用出来るのがNLP(神経言語プログラミング)です。NLPセミナーなどを利用することによって、効率的にNLPを学ぶことによってコミュニケーション能力を飛躍的に向上させることが出来ます。
コミュニケーションデザインとは?
『コミュニケーションデザイン』とは企業が消費者に向けて発信するメッセージを最大効果が得られるように、顧客との接点となる媒体や情報の中身、タイミングなど全体の構成を考えて設計することです。
インターネット普及以前の企業から消費者へのメッセージは、テレビ、新聞、雑誌、ラジオの既存メディアと、屋外広告やチラシなどが主要媒体でした。それがインターネットの登場によって一変しました。限りある広告枠を押さえるという発想から、無限に広がるネットの枠をいかにデザインしていくかという能力が必要となってきているのです。ブローカー的発想から、アートディレクター的発想へのパラダイムシフトが必要です。
今までのメディアプランニングは、「広告予算を新聞広告+テレビCM+Webサイト制作に割り振る」という広告ベースの発想でしたが、それでは効果効率の悪いコミュニケーションしか測れなくなってきているのです。この壁を打ち破るには、媒体選定からクリエーティブの内容まで全体を統括する「コミュニケーションザイナー」が必要とされています。
コミュニケーションザイナーにはクロスメディア型の掛け算発想ができることと、職人気質のクリエイターたちにキャンペーンの全体像を説明し、整合性の取れたクリエーティブを作ってもらう強力なリーダーシップが求められています。企業の広告・宣伝部門や広告代理店の社員にとって今最も求められる、時代が要請するスキルがコミュニケーションデザイン能力と言えるでしょう。
昨日のテレビ番組から
昨日のテレビ番組(フジテレビ『エチカの鏡』毎週日曜21:00~)で「コボちゃん作文」というものを特集していたので、ご紹介したいと思います。
コボちゃん作文とは、作文力を養う工夫として考案された方法で、簡単に言うと新聞の四コマ漫画を読んで、その内容を短い文章で表すというものです。昨日のテレビでは、考案者の工藤順一さんが出演されていました。
小学生に四コマ漫画を見せて、その内容を作文にさせるというものですが、たった四コマの内容を文章で説明するのがこんなにも大変だとは正直思いませんでした。
コボちゃん作文のポイントは、
(1.)最初の文はできるだけ短くする。
(2.)「直接話法」を「間接話法」で書く。
(3.)読点の打ち方を教える。
(4.)適切な修飾語を使う。
(5.)複雑なことは短い文章を積み上げて説明する。
(6.)対照的な構造が書ける。
(7.)落ちや面白さを抽象的に書く。
(8.)出来事や理由と結びつけて人物の気持ちを表現する。
(9.)書き上げたら推敲する。
以上に留意しながら100~150字程度の文章を仕上げます。
小さな頃から論理的な文章を書くトレーニングをしていくことで、論理の組み立て方、表現の仕方といったコミュニケーション能力が身につくのではないかと感じました。誰しも最初から複雑な内容を伝えることは出来ません。コミュニケーション能力に限らず、何事も小さなことから始めて積み重ねて行くことが大切だと思います。
コミュニケーション能力といっても・・・
よく言われているコミュニケーション能力は、もちろん仕事の場に限定しても、かなり多くの範囲を言うと思います。
「誰とでも仲良くなれる能力」
「自分の意志を伝える能力」
「会社や組織の意志や目的を伝える能力」
「交渉力」
「相手の話を正確に聞く能力」
「自分の言葉を正確に伝える能力」
「第三者の関係を調整する能力」
「相手の反応に応じた会話や対応ができるか」
「コミュニケーションをする意思」
「コミュニケーションのトラブルが起きたとき修復できる能力」
など範囲はとても広いですね。
ひとついえることは、コミュニケーション能力とは、社会能力や仕事の知識と大きく関わることになります。
たとえば、接待ををするとして、飲みのもを注ぐという行為がもてなす行為である、という知識がない場合に、その場の空気が悪くなってしまうなんてこともありえます。
その他に何かの専門家(例えばシステムエンジニアの方)と話をしようと思ってもその知識がないばかりに話がほとんど出来ないという場合がありますよね。
そういった場合はコミュニケーション能力というよりは、知識が仕事の結果に影響を与えていることがあるでしょう。
ひとことに、コミュニケーション能力といっても、難しいですね。
話す相手に興味や関心を持つのはもちろんのこと、普段か相手を観察しつつ会話をするのはもちろんですが、コミュニケーション能力を高めるには、相手の属する世界の知識をみにつけるということも重要になってくるでしょう。
コミュニケーション能力~意義~
紹介が遅れてしまいました。
私は、小学校の教師をかれこれ10年近くしており、担当は国語。
そんなこともあり、この「コミュニケーション能力」ということについて、子供だけでなく大人にもわかりやすいようにお話していけたら・・・と思い、このブログを立ち上げたのです。
小学校の教師ならば、通常「伝え合う力」といったように記述しなければいけないとは思うのです。
しかし、実際自分がインターネットを活用して検索することを考えたら「伝え合う力」という検索はしないとおもったのです。
通常「コミュニケーション」といったように一般に広く使われている言葉を使ってお話した方が、皆さんにより身近に感じていただくことができるんじゃないだろうか?と考えたわけです。
そんな小学教師の私が最近思っていることは、「最近の子供たちは、核家族化、少子化、遊びの変化ということが影響してか人間関係を作る機会が減り、コミュニケーション能力に乏しくなって来ているのではないか?!」と思うのです。
それは、私だけでなく国の文部科学省も思っているからこそ「伝え合う力」というものが実際に国語の教科の中で重視されるようになってきたのです。
もちろん、コミュニケーション能力というのは、教科だけの問題ではなく学校生活や社会生活といったあらゆる場面で必要になってくるものであり、国語の教科だけでなくいろんな教育の場面で問題としなければいけないのではないでしょうか?!
コミュニケーション能力~骨格~
「コミュニケーション」という言葉をご存じの人も多いことでしょう。
コミュニケーションという言葉そのものは一般の社会で多様されるようになって広まりました。
しかし、学校の教育や国語教育の中にそれがコミュニケーションという言葉のまま登場してきたのは意外と最近の話なんです。
コミュニケーションという言葉も、GHQというジェネラル・ヘッドクォーターの略称のことであり、日本を占領した連合国軍の総司令部のことであり、占領政策を推進して、戦後日本の様々な改革を行った中で使われた用語だと言われています。
しかし、その改革当時のまま使われるのではなく、コミュニケーションの重要性に着目した人がこのコミュニケーションを「通じ合い」と訳して国語教育界に紹介したのが始まりなのです。
平成10年の改定指導要領には国語教科の目標の中に「伝え合う力」が新しくとりいれられ、この「伝え合う力」というのはコミュニケーション力を根本においていると考えてもいいのではないでしょうか?
この伝え合う力というものは、音声言語と文字言語の両方を含む資質や能力のことであり、音声言語を中心として使用されるコミュニケーション能力よりも広いものだとういう人もいますが、これはコミュニケーションを音声言語が中心と考えている一般的なイメージだと言えるでしょう。
しかし、正確にはコミュニケーションは「音声コミュニケーション」に対して「文字コミュニケーション」という用語もあるように本来両者を含むものであり、「コミュニケーション能力」というのは現代の国語の学習し度要領で言うところの「伝え合う力」と同義語と考えてもいいのではないでしょうか?